unioo-1618’s blog

理念「信仰と宇宙」、夢「宇宙語」

「時間」とは何か <前編>

みなさん、ボンジュールノ(っ ‘ ᵕ ‘ c) 丸々です!!

 

今日のお話は「宇宙論」のなかの「時間論」をテーマにお話します(^m^ )クスッ

話の内容と致しましては、面白くてワクワクしますが、反面、頭がこんがらがる可能性もなくはありません。そうした意味で、ちゃんと理解すれば分かります!つまり、普通に理解すると難しいです。。

今回はザックリとしたテーマですが、「時間」について個人の見解とそれから経典つまり書籍から抜粋してお送り致します!!

 

まず、個人の見解における「時間」とは、2つの観点があります。

まず、一つは科学的な観点で、学者さんがおっしゃるように「初等幾何学におけるポリトープがございます」それは何かと言いますと、

👉例えば二次元多面体は多角形、三次元多面体は通常の多面体である。多辺形や多面体のときと同様、「中身の詰まった」(solid) な n-次元多面体だけでなく、一般にはその境界である (n − 1)-次元図形を指して n-次元多面体と呼ぶことが多々あるので、文脈に注意すべきである。

超多面体の更なる一般化として、非有界な超無限面体(英語版)や、曲がった多様体の三角形分割(英語版)や単体分割あるいは空間充填(例えば、球面多面体(英語版)、および集合論的な抽象多面体(英語版)などが現れる理論もある。🤜

というような理論です。この3次元においては「プラトン立体」(ガロア群を使って証明したとされる正多面体が5つしかない3次元立体のこと)や「アルキメデス立体」(それらを上手く規則的に変形させた立体)のことです。4次元においては「多胞体」という存在があって「アルキメデス立体」や「プラトン立体の拡張?」があるのではないかと僕は思います。

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🔼が球体を含んだ「プラトン立体」、🔽が「アルキメデス立体」

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これはどういうことか???!!

と言いますと、以前の記事『あの世って存在するの?!』でもご紹介しました通り、本では「3次元の図形の要素には縦・横・高さしかない。今度は次元を一つ加えると4次元の図形は縦・横・高さに時間の要素が加わったもの」とされております。そう考えると、我々が生きてるこの世界は3次元の要素で測られた世界ですけれども、そうした空間の要素に「あの世にしかない時間の要素がある」ということによって、「時間と空間」が宇宙に蔓延しているということなんです!!

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相対性理論にも光速を超えたもの(霊速)があり、そうなると過去も現在も未来も(三世)を見通すことができるので、実際のデータでは何万光年先にある星を観察すると、そこで光ってるあの星は現在から何万光年前の星であるということなので、霊速があると一瞬にしてその世界にすぐ行けるということですと、過去=現在になって、その差分によって現在=未来へと等価原理を工夫してそうなるのだと考えられると思います。ちなみに、幽霊さんもこの霊速という機能を持っています。これは霊という名を持つほんのその一部であります。

 

「時間」に関するもう一つの観点と致しまして、今我々が生きているこの世界の時間とは「進む時間」です。しかし、逆発想で考えると「止まる時間」「退く時間」も存在する。そして、「早まる時間」と「遅くなる時間」(スローモーション)も現実的に存在するのではないかと考えられる。

まず、「止まる時間」とは何かについてご説明します。我々が生きているこの世界は丁度、電球が周期的に点滅して連続でパパッと光っているスクリーンを眺めていると、そのスクリーンが我々が生きているこの世界であって、その光の部分ではなく、影の部分を見るとその世界は「時間が止まった世界である」ということです。そして、そのスクリーンを見てる映画館の外の世界は前回実際にあると証言致しました「あの世」の世界です。

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そして「退く時間」は我々が生きてる世界が「正宇宙のなかでしかない」と考えるならば、歯車で回転することとは逆向きに回転する歯車の世界は「時間が反対方向に進む世界」でこれが「反宇宙ではないか」と考えます。

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また、「早まる時間」や「遅れる時間」もパラレルワールドという無限に存在する宇宙が数多くあるなかで、その中の一部分を我々の世界から観察すると、Aの世界では相対的にゆっくりだったり、Bの別の世界では早かったりすることがあるかもしれません。

パラレルワールドという世界は、あなたがなりたかった自分やなりたい自分、あの時にやりたかったな〜、あれやりたいこれやりたいと思ってる自分がいたとして、その世界ではどうやらもう叶えられている世界。もう向こうの世界では現実としてそうなっている世界がパラレルワールドです。つまり、あの世とは違う理由はそこにあるのです!実際に、あの世も現実としてあり、パラレルワールドも現実です。違う部分は何かというと、物質世界としてありとしあらゆるものがパラレルワールド、精神世界があの世ということです。

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そして、時間の使い方を駆使することで「富」が蓄積され、これが「お金と時間」のエネルギーの変換作用としてあるのではないかとも考えられます。経典のなかでも「時は金なり、金は時なり」とあり、「富の法」で「豊さとは何か」を中心に説かれております。その話ができるのはかなり先の話でnoteで投稿すると思うので、お楽しみに( ⸝⸝⸝ ᐢ ᵕ ᐢ ⸝⸝⸝ )

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ここまでが、私が哲学的思想としてあるところの「丸々の時間論」です。(個人的見解としてはここまで)

続いて、「存在と時間」についてご紹介していきます。これはハイデガー存在と時間』を発展した教えとして説かれております。『太陽の法』ではこのように書かれております。

 

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人間は、この地上に生まれて以来、あの燦々(sansan)と光を投げかける太陽のもとに、さまざまの存在を見たり、生きとし生けるもの、ありとしあらゆるものを見てきました。そこに、ひとつの真理であるところの、普遍(fuhen)の法則があることを私たちは見抜かなければなりません。

そして、その法則こそ、生々流転の法則(shoujou-ruten-no-housoku)なのです。この世に存在するものはなんでも、すなわち、人間であれ、動物であれ、植物であれ、鉱物であれ、微生物であれ、すべて、この生々流転の法則の支配下にあります。

では、生々流転の法則とは、なんなのでしょうか。それは、この地上のものには誕生のときがあり、生長のときがあり、衰退のときがあり、そして、消滅のときがあるということです。

たとえば、人間をとってみてもそうです。人間には、誕生のときがあり、成人してゆく過程があり、老化してゆく過程があり、やがては、死去するときがくるのです。

この法則は、自然のもの、人工のものを問わず、すべてのものにあてはまります。たとえば、自動車一台とってもそうです。自動車が生産されるときがあり、それが有効にのり廻される(mawasareru)ときがあります。しかし、そのうちに故障しはじめ、ついには、廃止されるときにいたるわけです。植物にしても同じです。種をまくと、芽が出て、生長してゆき、花が咲きます。咲いたあとは、枯れはじめ、種、あるいは、球根のみを残して、地上から姿を消してゆきます。

このように、この3次元世界にあるものはすべて、原型の誕生ーー発育、または、フル稼働ーー衰退、または、不調ーー死滅、または、解体という四つの過程を必ず経ることになります。

別の言葉でいうならば、この三次元現象世界の存在は、すべて変転の時間を内包しているのだともいえます。すなわち、静止した存在はありえないのです。すべての存在は、変転を前提としてあることを許されているともいえます。

しかし、変転、あるいは、流転(ruten)を条件づけられているこの世の存在とは、時間という映写機によって投映をくり広げられているフィルムだともいえます。つまり、存在とは、そのなかに流転するという性質ーー時間を内包しているのです。

もう少しわかりやすくいうならば、この世のものは、すべて時々刻々に変化をしており、まったく同じ状態であることは不可能だということです。たとえば、私たちの肉体細胞をとってみても、昨日の自分と、今日の自分とを比較するならば、まったく同じ状態ではないのです。

しかし、日々変化する肉体細胞によって構成されているわけですが、その人の姓名(seimei)で称されている実体があるのです。その肉体細胞を統一している実在があるということです。

すなわち、時間の流れのなかで流転する存在の背後には、永遠に変化しないなにかがあるのです。

人間にして然り(shikari)、動物にして然り、植物にして然りです。

たとえば、植物を一本の花たらしめているものは、まったく偶然に集合した植物細胞ではありません。もし偶然に集積した植物細胞が、今日という日の一本の花を形づくっているならば、日々流転し、変転するという法則のもとでは、その花は、やがて花以外のなにか別のものに変わってゆくのが本当です。

しかし、やはり花は、花にしかすぎません。昨日も花、今日も花、明日も花。花としてのあり方が変化するだけで、花が花以外のもの、たとえば、動物とか、人間とかにはなりえないのです。

また、菊の花が途中でチューリップになることもなければ、チューリップが突然コスモスになることもありません。チューリップの花は、あくまでチューリップの花としてその一生をおえていくのです。

そこには、変化のなかに変化しないなにか、流転のなかにあって流転しないなにかがあるのです。そして、このなにかこそが、あるときは実在といわれ、あるときは理念といわれ、また、あるときはイデアといわれるものなのです。

色即是空(shiki-sokuze-kuu) 空即是色(kuu-sokuze-shiki)」という、仏教の有名な言葉があります。この言葉も、私が述べてきた、変化の背景にある不変なるものの実在、普遍的なる存在が投映されて、流転するこの世的存在となっていることを道破(douha)した真理の言葉なのです。

私たち人間は、時々刻々に変化する、たよりない肉体細胞の集合体をもって「人間」と称しているのではありません。人間の本質は、時間の流れのなかで変転してゆくはかない存在ではなくて、永遠に不変の実在なのです。この不変の実在こそ、生命(inochi)であり、魂であり、霊であります。

私は、」という言葉でもって、摩訶不思議な特異現象をさしているのではありませんそれは、人間の本質であり、不変の実在であり、生命のイデアなのです。

肉体人間を支配している個性ある知性。肉体人間を存在せしめている個性ある意識体。これらが、人間の本質なのですから、霊という言葉に対して、世人がいかなる印象を、もとうがもつまいが、真実はひとつなのです。すなわち、花には花の生命体があり、人間には人間の生命体があるということです。

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20/04/23

 

いかがでしたでしょうか?>! ちょっと全体的に難しいですよね🙀

 

この世にあるものは、時間の川の流れで流れていくと、会社や商品もすべて焼却されていきます。この世にとどまるものは長い時間をかけて見れば、存在しないのです。それは地球がなくなる時期に近く宇宙の歴史を見れば分かるでしょう。つまり、存在するものはあの世へ戻ってきてしまうのです。

 

「生々流転の法則」というのは「宇宙の理法」のなかの一つだと考えられます。また、それは「宇宙の12の法則」を超えたものだと考えてもよいのではないでしょうか。「宇宙の理法」の代表的な法則は「原因と結果の法則」(因果の理法)や「引き寄せの法則」「波長同通の法則」「代償の法則」などがあります。そのなかのひとつがそれです。

また、この内容のすべては「霊界科学を証明する重要参考資料だ」とウワサされております。「霊の存在や霊界が本当にあるなら、証明できるんですか?」という問いに対しては、こちらの記事をご覧し、今後、未来の青年たちが証明する可能性があります。

ちなみに、「イデア」というのはプラトンの「イデア論」をYouTubeや本などでご覧頂くと分かります通り、「洞窟の比喩」に例えた「あの世の世界を分かりやすく捉えたシーン」があり、そこでは洞窟のなかの門番が村人たちを操り人形のように支配し、門番が電球を壁面にかざして、村人がみてるのはそのライトに投映された自分の影を見てることにしか気づかない。これが「村人が思っている本当の世界だ」と間違った教え方をされているのだが、ある一人の村人が門番の下敷きから解放されて、洞窟の外に出たときに、太陽がさんさんと輝いていて、山々や見たこともない虫もいたので、「本当の世界はこれだった」という真実を知ったときに元の洞窟の場所に戻って、村人たちに説明したら「意味わからない。私たちが見ているのは幻想だったのか」ということになる。

要するに、唯物論」とは今目の前にある物体が本当なのだから、目に見えないものは存在しないとする考え方のことです。

しかし「霊界がある」と信じられているその証言のなかには「唯心論」がございまして、これが「唯神論」と深い関わりを持つとされています。以前の説明でも「この世は仮の世界であり、あの世が本当の世界」といいますのは当然のことです。「イデア」というのは我々が見ているすべての物体は実はあの世でも当たり前に存在しています。

では、パラレルワールドではどうなのか???

 

これについては次回の「時間とはなにか<後編>」でご説明致したいと思います!!(ΦωΦ)

 

みなさんはどれが「スゴイ!!」「グッとくる」と思いましたか?!不思議ですよね(笑)

 

コメントをお待ちしております。また、次回もお楽しみに!

ご精読ありがとうございました。

丸々以上です〜