unioo-1618’s blog

理念「信仰と宇宙」、夢「宇宙語」

一度は誰でも経験したことのある「幸福のしっぽ」のたとえ

みなさん、こんにちニャン(ᐡ o̴̶̷̤ ﻌ o̴̶̷̤ ᐡ) 丸々です(^ ^)

 

みなさんはネコを飼っていますか?

私はネコが昔、噛み付いて来てコワイ思いをしたことがありますが、小学生の時からか、ネコは可愛いな〜と思うようになりました(っ ‘ ᵕ ‘ c)

ちなみに余談ですが、ネコは現在好きですが、犬が苦手です🐶 

 

😹私が猫を飼っているかどうかは秘密です!

 

ところで、みなさんは、なぜやりたいことよりもやるべきことをやるのか考えたことがありますか?あれが欲しい、これもしたいという気持ちだけではなく、そしてまた、過去において引きづってしまうことや堂々巡りや欲深さ、遠回りの人生があると思います。

そうした一度は誰でも経験したことのある考え方に対してアプローチしていくという意味での人生論や思想、考え方に関するお話です。そのお話とは詩「ネコのしっぽ」で本当の幸福とは何かがわからないこの世の中であっても、人生の中での幸せを誰でも手にすることができるというお話です。

今回はネコに関する諸事情ではなく、有名な「猫のしっぽ」をテーマに、著名な書籍から抜粋にて語ります!!偏見を持たずに、ご一読頂けるとありがたいです( =^・_・^)=〇ニャンッッ

 

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まず、最初に詩っぽいの『心の指針』 からです。

 

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子猫がくるくると

自分のしっぽを追いかけている。

みかねた年とった猫が、

「坊や、どうしたの。」とたずねた。

子猫は答えた。

「猫にとって一番大事なのは幸せで、

その幸せは、僕のしっぽだと気づいたんだ。

だから、しっぽをつかまえたいんだ。

そうしたら僕はきっと幸せになれるから。」

 

大きな猫は言った。

「私も若い頃は同じことを考えたわ。

でも悟ったの。

しっぽは追いかけると決まって逃げていく。

でも、自分のやるべきことをやっていると、

しっぽは、私がどこへ行っても、

必ずついてくるものなんだよ。」

 

このたとえ話の意味がわかるだろうか。

幸福とは、自分の外部にあるもの、

他人がくれるものだと考えていると、

いくら追いかけても手に入らないものだ。

しかし、

自分の価値を自分の内部に発見する人は、

いつも幸福でいられるということだ。

 

奪うのではなく、

すでに与えられていることを喜べ。

あなたの感情の選択が、

あなた自身を幸福にするのだ。

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このように、自分の中にはなくて外にあることが幸福だと思ってやっていると失敗します。しかし、「自分で自分を見つめる」ということをして自分のなかにある可能性を見つけてから、自分に与えられていることをこなしていくと幸福になるということです。

「ネコ」とは自分が可愛いと思っている心情を表しています。

自分にないものを求めるのではなく、まず「足ることを知る」ということからスタートするということです!

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続いて、『the laws of steel』からです₍ ᐢ. ̫ .ᐢ ₎

 

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「繁栄のための考え方」というのは、「幸福」を追い求めるのと似たところがあります。

幸福について、以前、私は、「猫のたとえ」を使って、巻頭言(kantou-gen, 「心の指針」)にも書いたことがありますが、それは、次のような内容です。

「『猫にとっての幸福はしっぽなのだ』と気づいた子猫は、『何とかして幸福をつかまえてやろう』と思い、自分のしっぽを追いかけるけれども、追いかけても、追いかけても、クルクル回るだけで、どうしてもしっぽをつかまえられない。それを見ていた年取った猫は、『諦めて(akiramete)、自分のやるべきことをやって、トコトコとまっすぐ歩いていけば、しっぽは後ろからついてくるものなのだよ』と教えた」

これは、アメリカの心理学者が書いた本のなかにあったたとえ話であり、私が若いころに読んだなかで、非常に印象に残ったものの一つでした。

不思議なことに、「幸福」は、追いかけ回っているときには逃げていきますが、気にしないで、普通に、当たり前に、どんどん前に歩いていると、すぐ後ろからついてくるのです。

「幸福」とは、すでに自分が所有しているものであり、猫のしっぽのように自分に付いているものなので、真っ当に、当たり前に歩んでいけば、ずっとついてくるわけです。

ところが、「幸福は自分の外側にある」と思って追いかけていると、逃げてしまいます。そして、猫のように何度もクルクル回っているうちに目を回してしまい、とうとう、「幸福というのは、つかまえられないものだな」と思って、諦めてしまうことがあるわけです。

要するに、「幸福というものは、本来は自分のなかにあって、自分に付属しており、すでに持っているものだけれども、つかもうとすると、つかめない。しかし、つかもうと思わずに、ごく当たり前の生き方、すなわち、当たり前に勉強し、当たり前に仕事をし、当たり前に考えて、やるべきことを普通にやっていると、気がつけば自分についてきている」。幸福とは、そういうものなのです。

人生を四十年、五十年、六十年、あるいはそれ以上生きた人がこうした話を聞くと、「ああ、そのとおりですね」と、思い当たることがあると思います。

特に、若いころは、「幸福のしっぽ」を一生懸命追いかけているのですが、クルクルクルクル回ってしまい、いつまでたっても噛みつくことができずに、悔しい思いをすることもあるでしょう。「もうすぐ届きそうな気がするのに、噛もうとしたら、しっぽが逃げる。『このしっぽめ!』と思って、追いかけても追いかけても、追いつかない」といった感じかもしれません。

ところが、「しっぽなんか、くわえられなくてもいいや。しっぽをつかまえたら幸福になれると思ったけれども、気にしないで、やるべきことを毎日やらなくては駄目だ」と思い直してやっていると、やがて、「しっぽなんて、自分の思うとおりにいくらでも動くものだ」ということが分かってくるようになります。

これは、すべてに展開できる、ものの考え方なのです。

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ここで、私の実体験ですが、海外に行ったことがないから海外に行けば幸福だと思ってセブ島に留学したことがあります。これが本当に幸福だったかというと、私はその中に行って味わったことのない体験、束縛された日常からの解放を感じたので私にとっては幸福でした。しかし、私の身の回りにいる友人たちや先輩や仕事の同僚は幸福だと思うかによって本当に幸福だったかどうか全体的に分かると思います。

また、友人から「一緒に住みたい!」(シェアハウス)ということで、地方の方ですが、それが本当に幸福なのか、自分の自由を妨げている意味では、使命を貫くという意味では、幸福は難しいものだなとつくづく思います。

しかし、幸福ではなく、不幸な生き方をしていると、心の病気である精神障害者になってしまったり、体の腰あたりに病気を作ってしまうことだってあるので、心の底から笑顔を作れば良いということも大事ですが、やはり、やるべきことをやって楽しいと思う気持ちや「無欲の大河」(欲がなく小さな出来事で喜びを感じる日々)になるということが最も大事なことなのではないかと思います。

何事も内に籠もって外には何があるのか求めたいという思いで、内のことは捨てて外のことをやっていると、なぜか内のことが気にして仕方がない。戻りたいのに戻れない屈辱が出て来ます。すると、外に行けば自由になれたと思ったのに不自由がつきまとい内にいることが正解だったという考えに到るということになります。ただ、今の現状でも「ステイホーム」と言って、やるべきことがやれないなら不幸ですよね?ならば、自分を見つめる時間を大切にして、ちゃんと反省をしてから新しいことに挑戦することも大事なことだと思います!ここまでが個人の意見です。

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続いて、「猫のしっぽ」の話題になった由来を見ていきましょう!まず「アメリカの心理学者」とはエドワード・ソーンダイクや下記のダイアー先生のことですが、この2人の著作からご覧いただくとおり、猫の存在が人間の心の傾向性として似てる箇所はかなりあるということが分かります。

 

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幸せを追いかけていくと

 “幸せ”ということについて、心理学者のウエイン・W・ダイアー博士が、
『自分のための人生』の中で次のようなたとえ話を述べています。紹介しましょう。

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 子猫が自分のしっぽをつまえようとしているのを見て、大きな猫がこう尋ねた。
 「どうして自分のしっぽをつかまえようとするの」

 子猫が答えた、
 「猫にとって一番大事なのは幸せで、その幸せをは僕のしっぽだってことがわかったんだ。だからつかまえようとしてるの。しっぽをつかまえたら、きっと幸せになれるんだ。」

 するとその年取った猫が言った。
 「坊や、私もそういうことに関心を持ったときがあった、私も幸せは自分のしっぽにあると考えた。けれど気がついたんだよ。しっぽは追いかけると決まって逃げていく。でも、自分の仕事に精をだしていると、しっぽは私がどこへ行っても必ずついてくるみたいだよ」

 (『自分のための人生』 ウエイン・W・ダイアー著 
   渡部昇一訳・解説 三笠書房 刊)

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猫の問題箱
問題箱は箱の中の紐を引くと扉が開くようになっている。その中に猫(被験体)を入れ箱の外に餌を置く(刺激状況)。猫は餌をとろうとするが、とることはできない(誤反応)。しかし、何らかのきっかけで紐を引くと扉が開き(正反応)、餌をとることができる。餌をとるまでがひとつの試行であり、被験体は試行を繰り返すことで、誤反応が少なくなり正反応に達する時間が短くなる。これを試行錯誤学習と言い、この考え方を試行錯誤説という。・・・(wikiより)

 

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物理学者が唱えた「シュレンディンガーの猫」のたとえとは若干違うのですが、やはり「猫のしっぽ」とは幸福になるためにはこの考え方が人生に大きな影響を及ぼすということが分かると思います。

また、講師の解説は下記になります。↓

幸・不幸を決めるのは自分の心であり、外部の環境ではない。ひとりひとりの人間は、そんなに弱い人間ではない。なぜなら、仏の性質(勇気、思いやり、優しさなど)がひとりひとりに宿っているからだ。だから自分を変える力を持っているし、さらに世の中を幸福にする力をもっている。世の中を幸福にしょうと生きる中に人生がひらけていくのだ。

 

っということで、、いかがでしたでしょうか?🐈

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『心が豊になる法則』の中でも、、幸福とは猫のしっぽのようなもので、その存在を忘れて、まっ直ぐに歩いていくと、黙って後ろからついてくる。それと同じように、お金も、お金の亡者になって追いかけることなく、一日一日の生活習慣を改め、考え方を改める努力をしていると、自然にたまってくるものである。

っというように、何かにとらわれる(異性、お金、酒、ギャンブル、やりたいことなど)とそのことが気になってどうしても頭から離れられない。しかし、それを気にしないで目の前のことをコツコツと努力するということ何ですね!!

つまり、求めることよりも与えること。すでに与えられていることに気づくということですね🐱

 

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20/04/25

 

みなさんは、この内容を見てどう感じましたか???

ご感想いただけるととてもありがたいです⭐️

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また明日もお楽しみに✨✨ 以上、マルニャンでした〜〜(^-x-^)(^-x-^)

 

ここまでの内容に関しましては、下記リンクに貼っておきますので、ぜひぜひご覧くださいませ👇

http://hskamember.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/79-2ff2.html