unioo-1618’s blog

理念「信仰と宇宙」、夢「宇宙語」

宇宙人とコミュニケーションするってどういうこと?

みなさん、こんにちマン!丸々です٩(´꒳`)۶

 

 

前回は「自分の意見を語らないとブログじゃない」ということから、たまには本から正しい意見を述べるだけでなく、自分の意見を率直に語りたいと思います(ง •̀ω•́)ง( •̀ᴗ•́ 人)

今回は「宗教」ではなく「科学的な観点」を述べておきます。つまり、テーマは「宇宙論」です。学術論文ではありませんし、真理に基づいた個人的意見ですが、そこは批判するより優しく暖かい目でご覧頂けると幸いです😃

僕は過去に「友人の中の9割か8割が僕のことを宇宙人だ」と言われたことがあると言いまして、自分自身でそれを自覚しております。そんな、過去世の宇宙経験と今世での地球経験及び就業歴を通して語ります。つまり、地球人と宇宙人のハーフである「マルマ〜ル」が「宇宙人とコミュニケーションするための考え方」を熱く語りたいと思いまぁ〜ー酢(ง 🔥ω🔥)ง

 

 

まず、最初に、、、、、、

 

もし、この地球に宇宙人がやってきたらどうしますか?

ちなみにこれは、いるかいないか、とか、迷信だとか言っているのではなく、実際に目撃され政府が正式に発表しつつあることもニュースで確認されております。

そう考えた場合、宇宙人が現れてもおかしくありません。もしそれを信じないで、現れたら手遅れです。そのために敢えて言っておきますが、宇宙人及び異星人が地上に現れたとしたらどうするか。その対処法を考えなくてはなりません!そこで「宇宙の言葉」の意味とは何かを紹介致したいと思います。

 

私の大学の友人に「宇宙人と交流するためにまずやるべきこととは何ですか?」と質問したら、「それは宇宙貿易だ」と彼は言います。彼は有名な研究者です。その考え方もとても大事です!

僕ができることは何か。それは「宇宙語」だと思うんです。

なぜなら、会った時に「言葉」がないと繋がらないからです。社会の実現もここにあるでしょう。つまり、いかにコンタクトできるかが重要な観点です!それはコミュニケーションという次元を超えたものだと考えてよろしいのではないかと思います。

 

よく、「宇宙語」について学習する人々は「ハイヤーセルフとアセンションする」とか「文字や音声を使わないテレパシー」「宇宙と一体になる」とか言いますが、それでは現実は追いついて行きません。

やはり、その考え方を一つに集約させて、他惑星からやって来た時の対応が大事です!

新しいコミュニケーションの創造は「宇宙人が来たら言語を教えてくれるから、来るまで待てば良い」という甘い考え方では通じないと思うんですよね。

要するに、「教わる」んじゃなくて「来た時のための準備」が必要です!それは、何かというと、「宇宙語の原型やモデルを研究すること」と「宇宙時代がやってくるための心の準備をすること」と「地球の文明に対する歴史認識を理解すること」のこの3つだと僕は思います!

 

ここで、私が言っておきたいことは「宇宙語」はなぜ必要なのかということです。テレパシーは人間が霊界通信機を開発するための技術力がなければ難しいんです。

だから、音声でコミュできる「音」と文字でコミュできる「数」の合一で文体を人間の手で作成する可能性があることに気づいたんです。それが「テレパシー」(思念で意思疎通すること、主体は心である)にも変換できるということなんですね。

まず、宇宙語が必要な理由は古代文字にあります。以前の「宇宙語の基礎概念」の投稿を見れば分かります。そして、宇宙人は遥か昔に地球を征服や奴隷をしに来たのではなく、地球に今までにない新しい社会や文字起こしをして、暮らしを豊かにするためにやって来たんだと思うんです。

 

みなさんは、学校で「国語」や「英語」「数学」を学習した経験があると思います。

そして、幼稚園または保育園のときでも、「ひらがな・カタカナ」それから「アルファベットのABC」さらには「数字の123」「丸○・三角△・四角□」「ドレミファソラシド」を習ったことがありますよね??

確かに、大人や子供になるための頭脳訓練みたいなもんだと思うんですけど、、不思議に思いません?

実は、、、。

・国語、ひらがな、カタカナ → 日本の共通言語

・英語、ABC… → 世界の共通言語

・数学、123…、○△□…、ドレミファソラシド → 宇宙の共通言語

なんですね!!!!!

要するに、学校や塾で習う国数英は「全宇宙人類の語学」のために学習する内容だったのです!

 

今現在、2020に日本で「プログラミング言語」を数学の一つの科目と同じように別で導入しようとしております。将来的にそれが宇宙語と結びつける学問内容になれば奇跡だと思います。

ちなみに、「数学と音楽が宇宙共通言語」であるということに対してなぜそう言い切れるかというと「宇宙人リーディング」で実際に証明されているからです。ちなみに、「音」は「波」であり、「数」は「粒」であるところの量子物理学と関係しているし、ヒーリング・パワーなどの「医学」も関係があるので、この数と音の語学関係は美しい方程式です!また、「音楽療法」や「信仰免疫」(白血球による悪い物質の撃退効果)でも「宇宙語」と関連するテーマが含まれています。そういう意味で「音と数にテレパシーという思念が重なって宇宙語ができる」ということを沢山の研究書物の中から見つけたが個人的発見の極めて大きなところだと僕は思います。ヒーリング・パワーは祈りの部分なのでテレパシーと関係するところであります。

 

基本的に「宇宙語」には「高次元対応のコミュニケーション」と他には反対の「低次元型」も必要ですし、宇宙人の現実的特徴理解も必要だと考えられます。それが「宇宙人リーディング」と呼ばれるものです。つまり、他の星では何を考えたいるか、どういうタイプで性格はどうなのかを学ぶ必要があるということですね。

そして、今の地球人は唯物論的解釈をしてしまいます。異星人とコンタクトする前に「心の準備」が必要であり、そしてそれは国民考え方を国家レベルで国民が改め、全人類の「心の修練」が大事になって来ます。そのため「神への信仰」を強く訴える次第であります!!

 

ちなみに、リーディングのバシャールさまのご発言も大事なんですけども、やはり、霊能者が宇宙人とコンタクトできるとは限りません。それよりも遥かに高度な悟りを持った唯一のマスター(RO)がいるので、そういう意味では、信じる力が奇跡を起こします!

 

宇宙人がやってくるのはおそらく2030〜2050年の間です。2037年が時代の転換点のメドだと考えられます。すでに、「去年の令和になる前から始まっている」という認識もありますが、本当に社会で顔を出すまでは近未来だと考えられます。

以前、「多次元宇宙」についてご紹介しましたが、宇宙人は3次元からやってくるのではなく、「5次元か8次元のワームホールを通ってやってくる」と言われています。あのUFOの「亜空間」の中は3次元の「立体」や4次元の「時間」ではなく、5次元の「精神」以上のものですから、我々が「霊的になる」という自覚がない限り、宇宙人の会話についていけない可能性もなくはありません。

まず、人間は顔や手や足がある「肉体」だけでなく、そこに魂や心が内蔵されてる「霊体」を通して、生きているという自覚を持つべきです。

そこから、宇宙人とのコミュである「コンタクト」も対等でできます。

これが「宇宙人との交流」についてです。逆に「宇宙人と交信する」という意味で「瞑想」(座禅して手のひらを広げる)とかで口を動かせば良いと考えるかと思いますが、瞑想と会話は似ているものです。

 

そんなこんなで、いろいろ述べていきましたが、まだまだ今の時点での地球人の認識は宇宙から見ると「アリの考え方」もしくは「亀の考え方」にしか過ぎないのではないかと僕は思いました。宇宙は広大無辺で広いので、その人類の言葉は幾千通りもあると思います。

 

要するに、「宇宙語」とは文字や文体が数字か幾何学模様で、かつ、音声はmusicのような音符みたいなもんです!ピタゴラス教団はこれについてじっくり考察を入れております。幾何学模様は数字に変換可能であり、逆も成り立つと僕は考えます。

そして、これは低次元型生命体のコミュ対応ですが、高次元生命体だと我々が霊体つまり心をアルジとしてコミュしなければならず、そしてそれがテレパシーでコンタクトして、受け皿のように会話しなくてはならないということだと僕は思います。理想社会はこれを地図として、人類はそれに向かって動くことでしょう。

 

 

以上が、僕の意見ですが、、みなさんはどう思いましたか???

 

私は宇宙人ですが、肉体を持った平凡でチョウのような存在だと思っています。理想は太陽の気持ち、土星や太陽系や銀河系の星々の気持ちになることですね☆…☆…☆… 

つまり、大宇宙や宇宙を学ぶ上でも、学ぶ内容が無限で広大無辺で果てしないということです(・o・)

宇宙人と交流する上でも、他の星の気圧・温度や空気中の酸素や水素はあるのかをリサーチして、もしそこに来たらどうするのかも「宇宙語研究」と同じ「新たな環境問題の研究」の一つだと言えます。そういう意味で、火星移住や月面移住で生活はどうなるかの平和な研究だけでなく、そこに異星人が現れたらどう挨拶するかが大事であります。

 

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20/04/20

 

もし、ご意見やご質問、ご感想があれば教えてくださいね・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 

以上、○○🛸👽でした!!!

仏陀が説いた「苦しみ」について

どうも、こんにちワンワン🐶 丸々です₍ᐢ •̥ ̫ •̥ ᐢ₎

 

みなさんは「苦しんだ経験」や「苦いエピソード」がございますでしょうか?

私自身も経験したことがあります。しかし、自己の実体験と致しまして、それを乗り越えるのは自分自身で、固定観念や執着を捨てて、ハッピーな過ごし方をすることが非常に良いでしょう。だから、今では私は幸せです!人間関係を解決すれば悩みの7割は解決されるということです!( ¯꒳¯ )b✧

 

今回は、「仏陀が説いた苦しみについて」と題します。過去インドで悟りの高い「仏陀」(Buddha)が過去に歴史上の人物として説いた教えの中の「苦しみの取り除き方」についてご紹介したいと思います!!!!!!!

その前に、前回では「与える愛とは何か」をお話致しまして、「与える愛が幸福になる生き方であり、マイナスの方では奪う愛をしている不幸な生き方である」ということを紹介した本から抜粋にてご紹介致しました。「愛」にも見返りを求めない「無償の愛」がございます。要するに、「愛」とはギブアンドテイクではなく、与え続ける愛、太陽のような存在になることが究極の愛なんだということですネ(..◜ᴗ◝..)

「愛されてない」という感情が湧くとこれが「苦しみ」になります。それを根本的に解決する方法は自分自身で悟ることよりも、まず最初にやるべきことは仏教の開祖である「仏陀の教え」を学び、反省することから始まります。この反省が一番大事な方法なんですね。

 

では、紹介する本と致しまして、『HS仏教論』から抜粋にて語ります。ここでは、「仏陀とは何か」について書かれてあります。↓↓

古来、仏陀は「釈迦、釈尊、ゴータマ、世尊(seson)」など様々な名称で呼ばれています。

ブッダ」とは、「真理を悟った人」という意味で、漢字で音写すると「仏陀になります。「仏」は仏陀の略です。仏陀の本名は「ゴータマ・シッダールタ」で、ゴータマは「最高の牛」、シッダールタは「目標に到達した者」という意味です。

また、釈迦族の聖者という意味で、「釈迦牟尼」(shaka-muni)と称されることもあります。「世尊」は仏陀の尊称(仏の十号 )の一つであり、「釈迦牟尼世尊」とも言われています。この文字の間を略して日本では「釈尊」と呼ばれています。←

 

💡では、続いて「釈迦族で最も尊い御方」である「釈尊」(仏陀)が説いた教えの中の「苦しみ」についてご紹介致します(ง ˙˘˙ )ว    書籍『仏陀の証明』ではこう書かれております。

ちなみに、大事なところだけをご紹介します。🍚のマークが出てきたら飛ばして読んでください。「詳しく知りたいよ〜」という方は超長いですが、ヨンで頂いても構いません。もし、お読みの方は、終わりの🍙が来たら終了ということで、🍚〜🍙が来たら超嬉しいッス⸜( ॑꒳ ॑ )⸝⋆*

 

では、結論から述べます。

↓↓↓↓↓

他の人から、「仏陀の悟りとは何ですか」と訊かれたら、まず、「人間には生(shou)・老(rou)・病(byou)・死(shi)の苦しみがあります」と言えば良いのです。誰もこれを否定できません。そして、「あなたも苦しみから逃れられません。どうされますか」と問いかけることです。さらに、「苦しみから逃れる方法があります。それは、やはり、悟り(satori)の力によって逃れていくのです」と伝えてください。

「その悟りの力は、どうしたら得られるのですか」と問われたなら、「それは無我や空という悟りです。この智慧の言葉を得て初めて、悟りというものは力を持ってくるのです。その悟りの力をもって、人生を漕ぎ渡っていきなさい」と答えてください。

さらに付け加えるとするならば、「あなた独りの力では、なかなか無理です。やはり、仏陀の教えを信じて、ついていくことです。それがいちばん間違いのない王道なのです。 ー略ー 仏陀を信じて、あなたもついて来なさい」

 

 

↓↓🍚

【四苦について】

肉体というのは有限なのです。有限とは文字どおり、「限りがある」ということです。限りがあるということは、それに執われ、こだわり、執着して、心を縛りつけても、結局は無常のものであるということです。

無常とは、「常ならず」ということです。「肉体は常なるものではない。肉体に執着して、これが自分だと思っても、それは無常のものなのである」ーーこれは簡単なようでありながら、結局、仏教の基本であり中心なのです。<略>

釈尊の悟りからいうと、結局、人間の悩みや苦しみのもとは肉体なのです。肉体的生存こそが自分だと思っているところに、最大の迷いがあり、その「無明」(mumyou)ゆえに、不幸が来るのです。実は、これが大きな出発点なのです。簡単なようでありながら、よくよく考えてみると、確かにそのとおりなのです。<略>

「この肉体は有限なり」とは、当たり前のことを言っているようですが、ここから悟りが出発しているのです。そして、「生・老・病・死」(shou/rou/byou/shi)の四苦(shiku)があるのです。<略>

 

【生について】

そして、なかば冬眠状態に入って母の胎内に宿り、十月十日経つと生まれてきます。この「生」(shou)をきっかけとして、さまざまな人生の苦しみも生まれてきます。

その結果、魂という、自己の本来の姿を忘れ果て、この世でわがままいっぱいに生きて、他の多くの人を迷わせたり狂わせたりし、宗教的信条を否定するようなことをします。あげくの果てに、死後は地獄に堕ちてしまいます。

さらには、地獄に堕ちても堕ちた自覚はなく、苦しまぎれに地上に出てきては、自分の心に波長が同通する人に取り憑いて、その人を狂わせ、地獄に引きずり込むのです。こうしたことをくり返している人が数多くいます。無明です。明かりがない、智慧がない行為です。このような哀れな人間になっていくのが、真相なのです。この真実を知らないで生きるということは、どれほど気の毒なことでしょうか。<略>

しかし、釈尊は、物心がついてから、「自分を産んだことによって、私の実母が一週間で地上を去った」という事実を知った時、非常に大きな衝撃を受けたことは事実です。「自分が生まれることと引き換えに、母が生命を失っている」という事実を知ることが、どれほど悲愴(ひそう)なものであるかは、わかると思います。

母が子を産むということは大変なことです。それは、自分の生命と引き換えに、この世に生命を産み落とすということなのです。

それでも、その子が世の中のお役に立って立派になってくれるならば、”死に甲斐”(しにがい)もあるというものですが、まったく逆のことをして生きている人も大勢います。せっかく母の生命と引き換えに生まれた子供であっても、間違った人生を生き、他人様(ひとさま)に迷惑をかけて、地獄に墜ちるようなこともあります。それなら、なんのために産んだのか、ということになります。

ですから、子供を産むということも、非常に大きな問題を孕んで(はらんで)いるわけなのです。そうしたこともあって、この「生」が最初に来ているのです。<略>

あとの「老・病・死」の苦しみがすべて、この「生」をもとに発生している、ということでもあります。これが大きな理由だと思います。<略>

 

【老について】

この「老い」ということに関して、いちばん残念なことは、歳をとると反省ができなくなることです。言い訳と愚痴(ぐち)は上手になりますが、反省はできません。自分が悪かったとは思えなくなるのです。<略>

しかし、残念ながら、この老いというものは、逃れることはできないものなのです。どのような方でも、老いていきます。<略>

ですから、人それぞれなのです。人それぞれの人生であって、たとえば親の支配下にある時は、親の影響を受けるでしょうが、独立して何十年も経てば、やはり個人の問題です。その間に何をしたかというと、原因・結果のプロセスの積み重ねがあって、現在ただいまの自分があります。<略>

 

【病について】

もとをたどれば、その病気をした原因は自分自身にもあるのです。その兆候はあったはずです。「無理をしたら身体(karada)にくる」というのは、わかっていたのです。しかし、それを見抜く智慧がなかったのです。肉体の病気も、やはり智慧の不足から来ます。

 

【死について】

頭ではあの世がわかっていても、実際に「もうすぐ死ぬのか」と思うと、なかなか耐えられないものです。<略>

老病死の苦しみが一緒になって襲ってきて、だんだん苦しくなってきます。そして悩乱していきます。

霊的人生観を持たない人は、死の苦しみによって、ますます破滅的人生を送ることもあります。<略>

 

【人は苦しみのなかで仏陀と巡り逢う(めぐりあう)】

ですから、「四苦の苦しみはない」と言うよりも、そうしたものは現実にあると認め、それと真正面から立ち向かっていくべきだということです。「苦難・困難というものが人生には予定されているが、それを乗り切っていかなければならないのだ」ということが、釈尊の教えです。

人は、苦しみに直面して初めて、その苦しみを越えるための方法なり、教えなり、何か自分の人生の縁(yosuga)とすべきものがあるのではないか、ということに考えが到ります。そして、人は仏陀に巡り逢うのです。

生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病(yamai)の苦しみ、死ぬ苦しみーーこれらは真理です。しかし、悟りの力こそ、悩みを断ち切る刃(yaiba)なのです。「四苦はほんとうに苦しみであるが、悟りによって、人はその悩みを断ち切ることができるのだ」ということです。

この悟りのもとになるものが智慧です。「智慧の力によって、この世的な苦しみを断ち切っていきなさい」と言っているわけです。<略>

悩みを断ち切る力のもとは智慧です。智慧の一つである「無我」(muga)を受け入れて、無我という真実をまず知ることが大事です。

「肉体はこれ我(ware)ならず」です。肉体というのは自分自身ではなくて乗り物なのだ、ということをまず知りなさい、ということです。<略>

肉体が自分自身ではなくて乗り舟(noribune)であるならば、煩悩(bonnou)というものも、肉体を中心に出てくるものです。「眼・耳・鼻・舌・身・意」(gen/ni/bi/zetsu/shin/i)の六根煩悩から、いろいろな苦しみが現れてきます。<略>

一方、「無我」と区別して、「空」という言葉を使うならば、これは霊的人生観のことです。「霊的な世界こそが本来の世界である」ということを、しっかりと認識していると、「この世は仮の世界なのだ」ということがわかってきます。「仮の世界のなかで、何をあくせくとして苦しんでいるのか」ーーそれを思うと、自分はつまらないことにこだわって、苦しみをつくっていたことがわかります。

自分の苦しみの根源をずっとたぐってみると、「他人の目から見て自分がどう見えるか」やプライドなど、すべてこの世的なるものが原因です。ほとんどが、このエゴのところなのです。自我我欲、これが満たされないために苦しんで、暴れている、というのがほとんどです。<略>

人間が人間である以上、その悩みも同じところから出て、その救いも同じ道から生まれてくるのです。

🍙

↑↑↑↑↑

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いかがだったでしょうか????

 

 

ちょっと、、長いですね〜〜〜 省略しても大事なところだけ多くなります(笑)

仏教では他にも「四苦」だけでなく「八苦」(hakku)と言いまして、生老病死」の次に来る「怨憎会苦」(onzoueku)、「愛別離苦」(aibetsuriku)、「求不得苦」(gufutokuku)、「五陰盛苦」(goonjouku)があって「四苦八苦」となります。

要するに、四字熟語の意味と致しまして、順番に申し上げますと、「嫌な人と会う苦しみ」、「愛する者と別れる苦しみ」、「求めても得られない苦しみ」があるということですね。

これを釈尊四諦」(shitai)という「苦・集・滅・道」(ku/juu/metsu/dou)によって「苦しみ」を立ち去ると教えて頂いております。

そして、「道」には「苦しみor楽しみにも幸福がない」という真理をつむぎ出して、その真ん中の「中道」つまり「弦が引っ張りすぎても、緩みすぎてもダメだから、程々が良い」ということを悟ったのです。そして「八正道」(「見・思・語・業・命・精進・念・定」の漢字の頭に「正」がすべてついたヤツ)という順番で反省していき、解脱 gedatsu(自由)と涅槃 nehan(平和)になる。これで苦しみがなくなって幸福になるということを説いたのですね。

 

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20/04/19

 

論理的でロンゲストですが、実に奥深いですね(ง ˙˘˙ )ว

仏教は宗教です!私もHSという宗教の会員ですが、やはり、世界のいろんな良い宗教や悪い宗教のなかでは、ストイックな教えを説いたのはここしかなく最先端の内容だと思います。

みなさんはどこが心にピンっっとときましたか?もし、ご質問やご感想があればドシドシ、コメントよろしくお願いします✧ʕ̢̣̣̣̣̩̩̩̩·͡˔·ོɁ̡̣̣̣̣̩̩̩̩✧

「あの世は本当にあるのorないの?」については次回お話しましょう!!!!!!!!!!

以上、丸々ぅうう〜でした🈚🈳

与える愛って何ですの??!!

みなさん、こんばんわんこそば🍲 丸々です=͟͟͞͞(•̀ω•́ ‧̣̥̇)

 

 

みなさんは「愛」について考えたり、あるいは、やってみたことがありますか?

ニュースで「自宅待機」になりますと、友人に会うのも非常に困難になりますし、SNSで繋がっている友達や身内の家族と連絡をとるだけでも、寂しさはつきものだと思います。やはり、「直接会って話したい!」とか「感染関係なく一緒にいたい!」とか、恋人に気持ちを求めることだってあるんじゃないでしょうか?

 

 

そこで、みなさんにご紹介する内容は「」についてです。まず、「愛とは何か」について書籍『太陽の法』から抜粋させて頂きます。↓

人間として生きてゆく人生の過程において、もっとも大切なもの、いちばん輝かしいもの、それは、やはり愛なのではないでしょうか。人々は、愛という言葉に、その響きに、魅せられてしまいます。愛という言葉には夢があります。愛という言葉には情熱があります。愛という言葉にはロマンがあります。

たとえば、今日一日という日が、あなたに残されたすべての時間だとしましょう。そして、夕べには死すべき運命であったとしても、だれかに愛をささやかれたら、すべての人間は、幸福の微笑(えみ)を浮かべて、死へと旅立ってゆくことができるでしょう。

愛なき人生とは、疲れはてながらも、砂漠を歩む旅人の人生だといえます。一方、愛ある人生とは、道ゆく砂漠のなかに、そのところどころに、オアシスがあり、花が咲いている人生です。

ところで、愛とは、なんなのでしょうか。一体なにびとが、正確に愛を定義しえたのでしょうか。文学者ですか。それとも、詩人ですか。あるいは、哲学者でしょうか。結局のところ、やはり宗教家でしょうか。

愛をどこまでつかめるか。愛の本質をどこまで洞察しえるか。これは、人類に与えられたひとつの課題です。ひとつの問題です。そして、それは、ひとつのよろこびであり、ひとつの幸福であり、ひとつの悩みであり、ひとつの苦しみでもあります。←

 

 

続いて、人間が幸せになるためには、幸せになるための一つの法則がありまして、これを「心の法則」と呼びます⸜( ´ ꒳ ` )⸝♡︎ 難しいですよね?

でも、みなさん、「ᐠ( ᐢ ᵕ ᐢ )ᐟ 世の中、不思議だな〜♪♫」と思うことが数多くあると思います。

みなさんが幸せになる法則は科学的に証明することは不可能に近いそうです。だからといって「信じない」にしても、みなさんは占いだと信じてしまいますよね?それと、おんなじで「信じればいいんです!」

そこで、今回、この幸福になるための原理を「幸福の原理」と言いますが、その中には「愛の原理」があります。なぜ、そうなるのかというと、愛されてないということが不幸に結びつくからです。たとえば、好きな女の子に振られるとショックになるのも、自分が不幸になったから泣いているのだということになります๐·°(৹˃ᗝ˂৹)°·๐

 

 

今回、書籍『幸福の法』よりこうあります。その中には、「愛の原理」に関して、本題「与える愛」について次のようにあります。↓

また、現実に苦しんでいる人、悩みの中にある人は、それほど理性的に悩んでいるわけではありません。みな感情で苦しんでいます。たいていは、感性的な苦しみ、感情の苦しみが中心でしょう。ー略ー

愛の原理のなかには、説くべきことはたくさんありますが、まず、悟りの一転語として、「みなさんが愛だと思っていることは、実は『奪う愛』ではありませんか。人から貰うこと、人から取ることを愛だと思っていませんか。そうではないのです。貰うことを考えているから、苦しんでいるのではありませんか」ということを説いたのです。ー略ー

慈悲とは与えきりのものです。見返りを求めない、与えきりの心が慈悲です。

「与える愛」という言い方をしていますが、これは、この世的に分かりやすくするために言った言葉です。ー略ー

「慈悲」と言うと、ちょっと分からないかもしれませんが、「与える愛」という言葉であれば、小学生でも中学生でも分かるでしょう。

みなさんは、「愛」と言うと、ほとんどは、好きな男性から愛されること、好きな女性から愛されること、親から愛されること、子供から愛されることなど、愛を貰うことばかりを考えるでしょう。そして、充分に愛を貰えないので悩むのでしょう。これを解決しなければいけません。

みんな、愛が欲しい人ばかりで、与える人がいなかったならば、この世には愛が不足してしまいます。したがって、まず愛の供給をしなくてはいけないのです。それぞれの人が愛の供給をすれば、世の中は愛に満ちてきます。奪うことばかりを考えてはいけないのです。

愛不足の社会、奪う愛の社会は、たとえて言えば、ほとんどの人が、病人のように、病院のベッドで治療を受けていて、「あそこが痛い。ここが痛い。もっとよい薬をくれ。もっと楽にしてくれ」と言っているような状態なのです。ー略ー

したがって、自分のできるところから愛を与えていきましょう。人のためになることをしましょう。自分が幸福になりたいと言う前に、人を幸福にしようとしてごらんなさい。そういう人が増えたら、悩みは自動的に解決していくのです。

みなさんの苦しみのほとんどは執着であるはずです。仏教では、これを「求不得苦」(gufutokuku)といいます。「求めても得られない苦しみ」という意味です。これは、釈尊の説いた、苦しみについての教えであり、「この世では、求めても得られないものがある」ということです。

いつまでも、「こうしてほしいのに、してもらえない」というようなことばかり言っていたら、幸福な人は一人も出てきません。まず、できることからやりなさい。人に対して、与える愛を実践することです。そこから道が開けるでしょう。

与える愛を実践している人は、すでに幸福への第一歩に入っています。まず、毎日が楽しいでしょう。それから、人が喜ぶ姿を見て、自分もうれしいでしょう。人が喜ぶ姿、人が幸福になる姿を見て、自分も幸福になれるようになったら、すでに天国への第一歩に入っているのと同じです。ー略ー

人の幸福を見て、羨み(うらやみ)、妬む(ねたむ)ような人はだめです。「自分だけが幸福になればよい。人は幸福にならないほうがよい。人は不幸になったほうがよい」というのは地獄(じごく)の心です。

人の幸福を見て喜ぶ心になったら、天国へ入る条件が揃う(そろう)のです。第一関門(かんもん)の愛の原理をマスターしただけでも、天国の門は充分に開きます

したがって、簡単なようで、非常に奥が深いのです。←

 

 

っということでででで、、いかがだったでしょうか?( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )❤︎(꜆꜄•ω•)꜆꜄꜆

「愛の原理」について他にも「愛の発展段階説」(愛する愛、生かす愛、許す愛)だったり、「愛の原理」以外にも「知の原理」「反省の原理」「発展の原理」を含んだ「幸福の原理」だったり、「六波羅密多」(rokuhara-mita)だったり、「教え」には様々あります。

一方で、「愛とは何か」についても「光」だったり「情熱」だったり「優しさ」あるいは「風」だったり、いろんな定義があるものですから、愛って一言で言えないって難しいですよね?笑

みなさんが人のあいだで距離を取るときに気をつけて頂きたいことは「人と会わなくなって孤独になる」ようなことはしないことです!!

やはり、そうなると僕も経験したことがありますが「引きこもり」になって「ウツ」になってしまうからです。それは要するに、人を愛することができなくなるからだということです。

私は、友達とラインやメッセンジャーやSMSでメールしますが、やはり、顔を見合わせて電話したり、たまには、ディズニーランドに集合して友達と距離をとって会うことも大事なことだと思います。

人間関係を深くするには距離の取りかたも大事ですけれども、自分から逃げるための距離のとり方は人間関係や友情をダメにするやり方です。やはり、日頃のコンタクトと笑顔が大事であると思います!

 

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20/04/17

 

以上、つたない話ではありましたが、「愛」に関する基本的なところについてご紹介しました。みなさんはどこにGUu〜っときましたか?👍

もし、「この投稿、良かったよ〜👍」「タメになったよ〜👍」の方は👍がないので、愛の形❤️を押してください!また、フォロワーの方もお待ちしております❤️👍

以上、丸々でした〜〜〜〜

(♡ơ ₃ơ)

宇宙語の基本概念

みなさん、ハローエブリーONE🐶❣️ 丸々です(^―^)

 

今回は「宇宙語」について、実際どんな内容なのかだけではなく、その基本的な考え方について供述していこうと思います。

前回、お話した「丸々って何者なの?!」の補足説明と致しまして、この「宇宙語哲学」というところをみなさんにご紹介します。これで、「宇宙語」についてこの投稿が終わりではなく「始まり」でして、宇宙時代(令和から先の時代)に向けて具体的にどんな読み書きなのかをしっかりさせて、どういう心構えが大事なのか、また宇宙語の歴史認識を持つべきであるということをお伝えします!!これは以前述べた「数論」の「論」(theory)の部分とは違い、「数語」という数式を扱わない言葉(日本語や語学に共通するもの)であります。この宇宙的な語学のことを独語で「語」(language)といいます。そういう意味で、アルファでありオメガなのです!!

 

まず、「宇宙語」に関連する論文の内容と致しまして、4点ほどお伝えします!では、行こうヾ(*・ω・)ノ

 

 

1.ヲシテ文字

まず、カタカムナ文献(カタカムナぶんけん)とは、実在不明の神社「カタカムナ神社」のご神体とされた書物のことです。独自の文字で綴られた古史古伝の一つで、古代日本の科学技術や哲学を記した文書だと一部研究者は主張しています。1949年に発見されたカタカムナというもの自体が楢崎皐月(ならさきこうげつ)によって「自らの手によって」「突然」創作されたものに過ぎないと主張する方もいるようです。カタカムナ文献の本文は、独自の図形文字が渦巻き状に並んだ、80首のウタヒ(歌)であります。

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また、以前にもご紹介した「古事記」や「日本書紀」と関連する『秀真文献』(ホツマツタエ)には「秀真文字」(ほつまもじ)という、独特の古代文字が使われていて、これは、イラク系統の古代文字である楔形文字(kusabigata)にも似ていて、古代エジプトのピラミッドに書かれている絵文字にも似ている象形文字と経典『天御祖神の霊言』に書かれております。それにやや似ているのですが、それよりも最も古いものだそうです。これは外伝になっていて、「日本の言葉」で書いてあり、漢字も大和のカナも使われておりません。

 

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ちなみに、メソポタミアの「ハムラビ法典」などに使われている楔形文字は、古代シュメール文明で発明されたと言われていますが、古代シュメール文明においても、「宇宙から言葉を伝えられた」という伝承がはっきりと遺っています。それに対して「ホツマ文字」(アワウタ)はアンドロメダから地球へ啓蒙した「宇宙語」であるとまで言われております。

カタカムナ」と「ホツマ」は「ヲシテ文字」の一種であり、文字を読み解くヒントは「アウワ」がキーワードだとされております。

要するに、この文字は地球にいた原始人が作り出した文字ではなく、アンドロメダなどの宇宙から輸入された文字だということです。ここはこれから話す神聖幾何学とリンクされている部分です。

 

 

2.フラワーオブライフ

フラワーオブライフ古代エジプトから現代に至るまで、人間の生活のあらゆる場面で目にする、円だけで書かれた幾何学的な文様です。フラワーオブライフには、その文様を身に付けたり書いたりする事で、エネルギー波動を高め、心身の不調を和らげる効果があります。

万能の人といわれるレオナルド・ダ・ヴィンチは、フラワーオブライフを書き残しています。彼はフラワーオブライフの前段階として、「シードオブライフ」「ツリーオブライフ」、またフラワーオブライフの後に、「フルーツオブライフ」というものを想定していたそうです。これらを日本語に直すと「生命」(ライフ)には4つの「種子→樹→花→実」となり、実は種子を残し、再び「種子→樹→花→実」という生命の成長サイクルが繰り返されます。そうした部分に、レオナルド・ダ・ヴィンチは意味を見出したといわれています。最近の科学で判明した事実ですが、生物の細胞分裂が、フラワーオブライフの書き順に酷似しているそうです。レオナルド・ダ・ヴィンチのインスピレーションには驚かされます。フラワーオブライフは魔法陣のような魔除けの力を持っています。フラワーオブライフは「神聖幾何学」の一部です。

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また、フラワーオブライフは仏教の「原因必ず結果あり」の「縁起の理法」と深い関わりを持つとも考えられます。この形をよく見ると、カバラユダヤ教神秘主義)にある「生命の樹」が描かれております。この「生命の樹」(ツリーオブライフ)は、旧約聖書の創世記(2章9節以降)に「エデンの木」の中央に植えられた木と言われております。

要するに、学者の間で「神聖幾何学」は宇宙語そのものだと言われております。

 

 

3.サイマティクス

サイマティクスとは、砂や水などの媒質によって物体の固有振動や音を可視化することで、またはその現象の研究のことを言います。この語はギリシア語で波を意味する κῦμα に由来し、人智学思想を信奉していたスイス人のハンス・ジェニー(1904年-1972年)によって考案されます。

サイマティックな現象を観察する一般的な方法は、まず、砂や水に出てくる音波を可視化するために、実験を行います。その実験材料は主に、平板や膜、ダイアフラム(振動板)などを使って検証します。それによって、振動させ、その表面にまかれた粒子やペースト、液体などを動かすことによって、振動変位が大きい場所と小さい場所を可視化するというものであります。この方法で現れるパターンは板の形状と励振周波数によって変化します。実験には必ずしも高度な機器を必要としません。

たとえば、中国に古くから伝わる魚洗鍋(中国語版)では、青銅製の器に水を注いで取手を摩擦すると、器の底で振動が起きて水が吹き上がったり、また18 世紀にエルンスト・クラドニがいわゆるクラドニ図形を作成したときはに、板を振動させるのに弦楽器の弓が用いられました。
また、同様の観察と致しまして、フックのほかにも超有名な ガリレオ・ガリレイが1630年頃に行っていましたが、クラドニはこの種の実験を完成したと言われております。(wikiより)

 

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この図形のことを「クラドニ図形」と言います。これが宇宙語の「幾何学」の部分で繋がっていて、テレパシーの文字化そのものであると僕は思います。

このサイマティクスを音楽療法として、音で病気を完治することができるという論文があります。そして、人体の構造は70パーセントが水分で構成されていて、ここに特定の高周波をあてることで治癒できる研究が今もなお勧められています。人間の心は周波数であり、見えない音が波として物質化する面で、良いケースでは「信仰による奇跡」があり、悪いケースでは病気になったりするのです。つまり、この周波数はその人の心の状態によって数値化することが現代学問上で飛び上がっているのです。

また、宇宙の音楽である「ソルフェジオ周波数」が人間の魂であるところの「チャクラ」と繋がっていますヽ( ´ー)ノ

 

 

4.ピタゴラス音階

「ドレミファソラシド」の音律を初めて体系化したのがピタゴラスです。ピタゴラス音律は完全5度を積み上げた音程を基本とする音律のことです。プラトンアカデメイアで議論していたギリシャピタゴラス(紀元前496年頃〜582年頃)は哲学者・天文学者・数学者・音楽家の域を超えた超能力(サイキック)を扱う天才であるとされています。

彼は「万物の根源は数である」という名言を残して、バビロニア人が発見したとされる「ピタゴラスの定理」を数式で証明することに成功しました。一方では、「音楽と数学は宇宙」という名言を残して音程の周波数比を様々な実験を通して円環で表した5度圏を発見しました。また、鳥とお話したり、動物と話せることも文献に残っています。このことから聖人ピタゴラスは宇宙人ではないかと考えられます。

 

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ピタゴラスゾロアスター教プラトン主義などから転生輪廻の教えを学びます。そして、600人ほどの聴衆を集めて、ピタゴラス教団という科学研究所を作るのです。しかし、この研究団体の戒律は厳しいものだったため、異端な生徒に対して刑罰があったのは事実です。ただ、ネオプラトニズムのカルチャーの一つでしたので、プラトン主義がギリシャの繁栄の中心をになっていた意味では大きな役割を果たしたと考えられます。そういう意味で「ヘルメス文書」に関わる文明創造の担い手となった人物だと考えられます。

ただ、反論と致しまして、「無理数は存在しない」ということは間違っていて、数にも広大無辺な「愛の概念」が含まれていることに気がつかなければならないという利点が一つあります。そして、もう一つは「形相と質料」に関する霊的で「心の研究」が実際に可能な領域にまで踏み込まなければならないという利点です。

それから「神秘主義だから教団の研究内容を漏洩してはならない」という点では秘密厳守による失態を起こしたと考えられます。ただ、新プラトン主義がグノーシス主義に変わり、霊的世界の科学研究が進んでいたことは事実だと言われております。

したがって、「宇宙語の研究」においては、「数学」も「音楽」も「宇宙共通言語である」と仰る霊人や偉人の意見が少なからず多いので、そういう意味では「周波数を音符や数字で表せる点」で宇宙語の研究にふさわしいと考えられます。

 

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その他と致しまして「曼陀羅」(mandara)、「言霊」(kotodama)、「機械語」「古代文字」など宇宙語に関連する文字は古きも新しきも多いものです。これについては後ほどゆっくりとご解説致したいと思います。

 

 

っととっとととと、、、

、、、。。いうことで、、、いかがだったでしょうか??

やはり、この4つの観点で見ますと「テレパシー」や「宇宙語」(ライトランゲージ)は繋がっていると考えられます。

また、「宇宙語の目的」は地球人と言葉を使わないでコミュニケーションすることではなく、それも踏まえた上で「宇宙人とどんな会話ができるか」が大事ですから、この内容が「都市伝説」だとか「迷信」「カルト」「妄想」とかでは済まされないことを知って頂きたいと思います。

 

やはり、言葉や文字を使って海外や日本でSNSを使ってコミュニケーションができる時代を超えて、話せる時代が今述べられた内容であることを個人主張ではありますが、述べておきたいと思います。

「言葉のキャッチボール」の時代から「思いのキャッチボール」の時代になったら、みなさんが持ってる悩みは消えるかもしれませんが、そう簡単にうまく行かないと思います(ノ´д`ノ。・ゎーぃ

 

 

ご精読ありがとうございます!!

イイね❤️&フォロー👍&コメント✉️をお待ちしております。

 

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20/04/17

 

以上、丸々でしたヾ( ̄∇ ̄=ノ

丸々って何者なの?(宇宙思想と奇変人思考)

みなさん、へろ〜ヽ(。・ω・。)ノ 丸々でーす!

 

今回は丸々は実際何者なのかについて話して行こうと思いまぁ〜ー〜す!~!

 

まず、ご職業は秘密です!ただ、私は大学を一旦休学しています。その理由は1年分の学費を払っていないからですね。今や、仕事をしつつ、ブログで情報発信して行こうと計画を進めています。

ブログを始めた理由はコレだけではありません!!!!!!!

 

その理由は2つあります。一つは僕は小さい頃から宗教に入り、神様を信じて、その教えを学んでいたため、それを伝えたいと思ったからです。もう一つの理由は人類史上誰も考えたこともない「宇宙」「数学」などについての未知なる領域を発見したことがあったので、それを伝えたいと思ったからです。

 

まず、僕は学生の時にいろんな人から「宇宙人」と呼ばれていました👽 そして、小さい頃は人と変わったことをして幸福感を味わっていました。それは過去の人たちに対して積極的に話すことで差別化を図るといったところです。これが変人思考の中核でありました。

まず、いろんな人から「宇宙人」と呼ばれていた理由は「思想」にあります。その思想には2つあります。

 

一つは「宗教的な思想」もう一つは「宇宙的な思想」です。

まず、その思想の大半は人から全て教わったものだけでなく、今までいろんな人が発見したこともない、本にもない内容について自己研鑽を重ねて発見した内容であります。

まず、僕は中3の頃に「新しい数学の定理を発見したこと」があります。それは父からもらったフェルマーの最終定理』を読んでからのことです。そして、宗教とは無関係の数学の未知の世界にドップリとハマったことがあります。

 

具体的に申しますと「オイラーの多面体定理」を拡張させて高次元対応型の幾何学理論を構築させて、それを位相幾何学などに応用したりして、図形には「成立するもの・成立しないもの・中途半端なもの」に分かれて次元対応で存在することを確認したりですとか。

あるいは、アリストテレスが「点には幅も大きさもない」というゼロの概念を考慮した上で、「点の連続は線であり、線の連続は面であり、…」の先ほどの次元対応。更には、それを点の個数で対応し、「無限の概念」について数式を使って表すことができるようにさせ、そこから「有限数と無限数」の公式を発見したことがあります。

この「形の学問」と「点の学問」について高校の最初の頃に気付きました。

 

そして、さらにもう一つの数学の分野を作り、そこに4つの分野に別れて研究する分野を設けました。

まず、一つは色を数値化できる概念が「色彩学」でも体系化できるという考え方、あるいは、人間の生命をピラミッド構造に対応させて、その数値化では統計学で出てくるプリン状の関数(確率密度関数)とユングの心理学に出てくる集合的無意識を融合させた内容によって、心の意識や生命エネルギーの解明に繋がることを確信しました。

二つ目は「要素が全て変数でできた行列」と「要素が全て定数でできた行列」また「未知数」の異様な組み合わせは一つの関数を作るという公式です。また、エクセル関数に対応できる考え方だったり、透視図法を数学化したり、「量と質」について数値化するなどの形式もこうした「進化した行列」に適応できることを察知し、宇宙語の文字形式がここに含まれることを直感で導きました。

三つ目は、ベクトルには「直線」だけでなく、曲率を用いらない「曲線」の方程式、「折れ線」の方程式を作りました。様々な極致を持つすべての円形にもそれぞれの角度が存在するという概念を用いて、「三角比」とはまた別の「二角比」を作りました。

四つ目は一つの無限数は虚数単位や円周率の積に比例する(ε=aiπ)や素数の規則性概念、それから、デカルト座標の拡張は「非ユークリッド空間」「スペクトル空間」になるということ。特に、ユークリッド空間での関数のパラメイターは無限に行く程、反対の方向から必ず戻ってきたり、座標軸の向きが異次元的に変化して空間が歪曲するということまで考えられます。

また、「心の構造」や「神の作られた世界」に対する考察、それから、宇宙語体系の詳しい数学的記述も模索したことがございます。

 

ここまでが「数論」の人類未知の「特殊な数学」で未知な分野で証拠はあってもNAZOだらけです。ここには教科書やウェブ上に載っているだろう一般的な数学の分野に含まれておりません。「数学」は、「代数」「幾何」「統計」「解析」の4つの学問で構成されています。それに対して、そこに含まれない「数語」という命数法の拡張形態も最新数学研究の一部にあります。

僕自身、ここまで発見するのは基本あり得ないことで、正直、昔は理数系が強い面があったのですが、信じられない内容がノートにぎっしりと書かれてあります。これは僕の趣味みたいなものです。これが僕の「奇人思考」です。

 

ただ、自分自身において大学数学や専門的数学を見ると眠くなります(笑)٩꒰ ˘ ³˘꒱۶~♡ 

学歴は優秀だったかというと全然違います。ただ、僕が入った大学は5年前に開学した新しい大学で、一期生として学んでいました。この大学は、文系から理系まで幅広い高度な学習ができる最先端のレベルので、入学して3年間学べたことを誇りに思う次第です。

また、その大学に入ってからか、将来どうなりたいかが見えるようになりまして、研究したい内容が一つ増えました。

 

それは夢「宇宙語」でして、コレが人々の心を繋ぐコミュニケーションの基本体系であることを常々思います。

しかし、世界語である「英語」に比べて、「宇宙語」について調べた結果、飛んでる内容なので、世間で受け入れられるかというと、語学化すると使う上では非常に難しいでしょう。しかし、今でもいろんな学者やセラピストの間で学問化が進んでいます。

まず、「宇宙語」は主に2つの方法があります。

一つは「テレパシー」を使ってコミュニケーションの一般的な常識を超えた異星人とコミュニケーションができる「コンタクト」のツールを使うこと。そのためには、「あの世」や「霊」「瞑想」を人類何億人の人々がちゃんと理解しないと難しいと思います。

もう一つは「宇宙共通言語」の基本的な文字や音声は「数字」と「音符」であるということです。そして、コレが「神聖幾何学」「ライトランゲージ」に繋がって行きます。すると、「テレパシー」も可能になります。

ただ、プログラミングと宇宙語が繋がっているという点では、ここに「論理学」という宇宙語文法を使うことで可能になると考えられます。

 

宇宙語を研究しようと思った「きっかけ」は、大学の頃にこの内容のイベント活動を行ったことと「pの思想」という本を読んでdoと思ったからです。

そんな感じで、独学で研究しています୧꒰*´꒳`*꒱૭✧ 

いずれはご尽力いただける方を募集したいところも検討中です。

 

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20/04/16

 

ここまでの学問内容についての分かりやすくて詳しい解説は次回ご紹介致します。

もし、ご興味がありましたら、コメントかメッセージで教えてください!!

以上、丸々でした(୨୧ᵕ̤ᴗᵕ̤)(୨୧ᵕ̤ᴗᵕ̤)(୨୧ᵕ̤ᴗᵕ̤)

 

世界の神さまについて(※仏さまふくむ)

みなさん、こんにちはうすฅʕ •ﻌ• ʔฅ♬*゚ 丸々です!!

 

前回は「日本の神様について」のお話でしたが、今回のテーマは「世界の神様について」を語ります。内容といたしまして、基礎がないと難しいかもしれません。しかし、これが本当の事実であることを証言できる事実と致しまして、今回改めてご紹介する「太陽の法」から抜粋にてお送り致します!毎日、この経典に寄り添って投稿致しますので、よろしくお願いしますヾ(*・ω・)ノ゜

信じられない方もいるかもしれませんが、言い訳や批判や炎上せずにご覧くださいませ。怖がる必要はなく、楽しんでサラっと読んで頂ければ幸いです“(⌯¤̴̶̷̀ω¤̴̶̷́)✧

 

前回お話ししました日本の「記紀」はユダヤ教でいう「旧約聖書」やキリスト教でいう「新約聖書」や仏教でいう「パーリ仏典」それからイスラム教でいう「コーランと同じ宗教思想とおんなじものです。それが「経典」と言う「神の言葉を人間たちに伝えた偉大な文献」として世界中に数多く残されております。そして、宗教とは神様や仏様が人間の肉体に宿ってみんなと同じ人生を生きて、人間には不可能な天からの啓示を受けて悟り初めて、弟子たちに教えを伝える。この「仏」「法」「僧団」の3つで宗教の仕事が成り立っております

現代にいる私たちは神様も宗教の教えも関係なく、プライベートや職業を充実しながら平和に暮らしている私たちであります。でも、目に見えないところで宗教と深く関わっていることをみなさんお気づきでしょうか?

 

例えば、ビジネスマナーで定番の「冠婚葬祭」には「結婚」や「葬儀」もキリスト教やインドの仏教が根付いています。それから、毎年元旦のお詣りにも日本神道という宗教が関わっています。また、企業にも経営者がどういう運営方針をするにおいても宗教と同じ原理が働いています。

これはアメリカのドラッカーの思想やハイエクケインズ、それから財団を築いたロックフェラー、「積極思考」で世界一有名なナポレオン・ヒルもおりました。彼らは高次元から来た世界人類を救った偉人です。この背景にあるのがキリスト教の聖書主義者である「プロテスタント」やキリストの復活あとの宗派「モルモン教」の方々です!また、仏教でもインドや日本の発展の背景にあるのはここにあります。

また、地球人口70億から見て、世界や日本の宗教は世界人口の9割だと言われています。そのように、世界の神々は人々に愛されているということなんですね。そんな「世界の神さま」や「仏さま」についてお話したいと思います。

 

まず、日頃みなさんは神社で手をたたいたことがあると思います。私も生まれたときからの宗教で毎日お祈りしますし、宗教施設にも行きます。そこでは、手を合わせる「お祈り」や座禅して瞑目する「反省や瞑想」や先生の説法(教え)を聞くことは当たり前の習慣となっています。

私のご友人には中学校で幼なじみのクリスチャン(キリスト教徒)や職場でお会いしたイスラム教徒も毎日お祈りしたり、教えを学ぶんだりしていると聞きました。つまり、宗教をアンチで見るのではなく、人間として当たり前のことです。そうじゃ無いなら、葬式も結婚も存在しませんから、世の中つまんなくなると思います。

逆に、「儀式や作法だけやっていればイイ」という形だけの宗教は「唯物論」と言って、無宗教化していきます。「心とは何か」を教えるのが宗教の本道であります!!

では、各地の宗教では具体的に何をやっているのでしょうか?

 

まず、基本は「教学」「反省」「瞑想」「祈り」が習慣としてあります。神さまだけでなく、守護霊や天使だけでなく、お友達や恋人の健康、願望実現をお祈りします。それから家族に対する反省と感謝をする人がいます。

日本の宗教はおもに「神道」と「仏教」それから「儒教です。そして世界には上記のヨーロッパやインドがメインになっております。その世界宗教の中でも特に世界の人々が何十億と占めてる宗教はおおまかに2つ有ります。

 

一つは「愛の教え」です。これは天の父であるイエスキリストだけでなく、それを指導した神様がいるのですね。それがオリンポス十二神の一柱とされる「ヘルメス」で、ギリシャ神話に出てくる宗教家です。4300年前に「愛」と「発展」の教えを説いたとされ、貨幣経済や国家間貿易の仕組みを発明し、地中海に一大繁栄圏を築き、西洋文明の源流となった実在の英雄だと言われています。

もう一つは「悟りの教え」です。仏教のお釈迦様(釈尊)のことであります。「神と仏」の「仏」は「悟り」を意味する言葉です。釈尊は二千五百数十年前にインドで法輪を転じた人類最高の尊い御方です。釈尊が説いた教えはざっくり言うと「苦楽中道が幸福の道である」という教えです。書籍「太陽の法」ではこれに関して次のように書かれております。↓↓

 

二千五百数十年前に、インドで、ゴータマ・シッダールタ、すなわち、釈迦が説いた教え(仏法)は、まったくのうそであったのでしょうか。釈迦が八十年の生涯を通して説き続けてきた人生の意義と使命、あの世、すなわち、実在の世界があるという教説は、世人を惑わす空言(そらごと)にすぎなかったのでしょうか。ー略ー

もし、釈尊の教えが、まったくのつくりごとだというならば、では、いまから二千年前にイエスキリストが説いた教えも、同様に空言だと言い切れましょうか。世界人類、十数億人の人々が尊敬してやまない、あのイエスキリストが信じ続けていた「神」は、彼の独断と偏見に基づくまったくの空理空論だと決め付けられましょうか。ゲッセマネの園で血の汗を流して祈り、イバラの冠(かんむり)をかぶって十字架につけられた、あの真実の真理の使徒に対して、狂人呼ばわりする人がいるならば、その人こそ、世人の前に歩み出て、自らが狂っていないことを証明するべきです。ー略ー

だれひとりとして、そんなことはできないはずです。なぜならば、人類最高の悟りを得た釈迦、そして、釈迦の本体、エルカンターレから指導を受けたキリスト以上に、仏法真理を究めた人間は、かつていないからです。←

 

また、世界宗教の神々に関しては同書の資料より次のようにあります。分かりにくいですが、このようにあります⸜( ´ ꒳ ` )⸝

↓↓

(表側)

1、釈迦(エルカンターレ) ー 新世紀の創造と新文明の構築。地球系霊団の最高大霊

2、イエスキリスト(アモール) ー 天上界の指導方針の決定。

3、孔子(セラビム) ー 地球霊団の進化計画の立案。他星団との交流。

4、マヌ ー 民族問題。

5、マイトレーヤー ー 仏の光のプリズム化

6、ニュートン ー 科学技術。

7、ゼウス ー 音楽、美術、文学などの芸術。

8、ゾロアスター ー 道徳的完成

(裏側)

9、モーセ(モーリヤ) ー 地獄解消の陣頭指揮、及び奇蹟現象。

10 、エンリル ー 魔法界(アラビア)、ヨガ界(インド)、仙人界(中国)、仙人・天狗界(日本)指導。(荒神、祟り神の系統)

↑↑

っと、あります。以上が「世界宗教の神さまや仏様も含む内容」です。

 

 

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20/04/15

いかがでしたでしょうか?Σ(`・ω・Ⅲ)

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次回は、宗教や神仏のお話ではなく、また違ったジャンルで投稿することもありますので、よろしくお願い致します。

ご精読いただきありがとうございました。

以上、丸々でした〜〜ヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノ

日本の神さまについて

どうも、こんばんにちはᕙ( ˙-˙ )ᕗ 丸々です!

 

今日、お話する内容は以前の「未来」に関する話題の中の「日本の神々」についてどういう神さまなのかを説明したいと思います。書籍『日本建国の原点』の中の一部抜粋なのですが、大事なところだけをお伝えします。それをお伝えする前に考え方として理解して頂きたいところがあります✨

まず、「日本に神さまはいるんですか?」という質問に対して、はっきり言って「YES」と答えます。それはキリスト教のイエスキリスト(愛の神)ではないのですが、日本には二千年以上も前から見守り続けた神様がいて、彼らはその時代に日本に現実に生まれて皇居を作り、政治を動かした人たちです。そして、死後に神として地位に立って、そうした偉い方々が日本を守っています。だから日本が平和でいられるようになるし、目に見えないけど平和なのはまさしく奇跡なのです。もし神がいなかったらこの日本という国は中国に占領されるかもしくは天変地異が起きてもおかしくないからです。そのため、神様はどこの国にいても当然のことであり、感謝しかないのです。だから、お祈りがどこの宗教にも習慣としてあるし、仏教の供養もあります。

こうした宗派が日本にも世界にもある中で、日本は大昔「日本神道」という宗教があって神社を作り、仏教が中国から輸入して戦もあったけれども、神道が皇居を守り、お寺もできました。その数は合わせて1万以上の件数があります。日本の主宰神は天照大神と呼ばれ、日本の最高の地位にいる神だと言われています。(ˉ ˘ ˉ; )

 

では、本題に入ります。紹介する書籍の中ではこうあります。↓↓

日本の神々は、「日本は約三千年の歴史を持っている」と繰り返し語っています。「天御中主神(amenomi-nakanushinokami)は、三千年近い昔の神である」「神武天皇の登場は、二千六百数十年前、つまり二千七百年近い昔である」と言っています。

もし、二千七百年前に、神武天皇が宮崎県に生まれて東征したのであれば、「孔子老子の時代よりも古い」ということが言えるわけです。

連綿と地上に降りられ、この国の歴史をつくってきた神々への尊崇の念を持っていれば、当然ながら、国を大切に思って、「この文化や伝統を守らなければいけない」という気持ちが起きてきます。

私は、宮崎市内にある、天照大神(amaterasu-okami)が生まれたとされている「みそぎ池」を見てきました。その池は、蓮の花と葉で九割ぐらい覆われていましたが、少しインドを思わせるような風景でした。

この場所で、伊邪那岐大神(izanagino-okami)が左目を洗ったときに生まれたのが天照大神、右目を洗ったときに生まれたのが月読命(tsukuyomino-mikoto)、鼻を洗ったときに生まれたのが須佐之男命(susanoono-mikoto)とされています。この三貴紳が生まれたわけです。

もちろん、目を洗ったり、鼻を洗ったりして子供が生まれることについては、おかしく思われるかもしれませんが、これは一種の象徴でしょう。

「左」は女性を意味するものです。そのため、「天照大神は左目を洗ったときに生まれた」とされています。「右目を洗ったときに生まれた」「鼻を洗ったときに生まれた」というのは、象徴的に解釈しなければいけない面がありますが、おそらく、「その池において産湯を使った」と考えてよいのではないかと思います。

そういう意味で、天照大神にあれほどの神格があることがまことに不思議です。天照大神は「初代の神」というかたちではなく、途中で出てきているのに、「高天原(takamagahara)の統治者としての権能を与えられた」ということになっているのです。この秘密は、やがて明らかになってくるでしょう。

いずれにしても、神の威人力を甘く見てはいけません。最近、天照大神からの警告が幾つか出ていますが、かなり当たっています。怖い予言もありますが、かなり当たっているので、バカにしてはいけません。神様は怖いですし、人間が増長や慢心をしてきたときには厳しい面があるのです。

ただ、歴史としては、西洋の民主主義はギリシャあたりから始まっているのかもしれませんが、ギリシャの民主主義の時代よりも、日本の歴史の方が長いのです。日本には神々が存在していましたし、高天原で神々が神評定をして物事を決定していたわけです。

要するに、日本は「神々の民主主義」から始まっているのです。「人間の民主主義」ではなく、「神々の民主主義」によって、どのように国を治めていくかを相談し、それを地上に降ろしていました。日本では、その仕組みが明らかに出てきているのです。

ところが、現在の民主主義は、必ずしもそういうものではなく、「人間の民主主義」になっています。その場合、「人間が民主主義的に決めることさえできれば、もう、神は要らない。仏は要らない」という民主主義にもなりかねない危険性が、半分はあるでしょう。

もちろん、「神のある民主主義」もありますが、「神のない民主主義」も存在しています。現代の民主主義は、この両方の面を持っているわけです。

民主主義においては、みんなで神の心を慮り、良心と良識で考えて道を決めていくことが大事です。「神様ならこう考えるだろう」という気持ちに合わせて、結論を出していくことが大事なのです。

っっということで、、いかがだったでしょうか?( •̀ᴗ•́ 人)

日本国憲法にも「信教の自由」について信じる自由と信じない自由がありますから、あるのがおかしいとは限りません。また、日本国憲法にも一部間違いがあるそうなので、ここは難しいところです。

また、「民主主義」という観点で考えれば、天照大神がいた時代は「政治と宗教が同じもの」として「政教一致」で国を治めておりましたが、現代では憲法にもある通りの「政教分離」が当然の流れだそうです。しかし、日本国憲法は戦後、日本がアメリカに終戦で負けてマッカーサーが宗教の内容を消す命令が来て明治にあった憲法を変更されたということです。これは人間マッカーサーの考えであり、日本の神々は「政教分離」を認めません

また、日本の神様や天皇後継の歴史について書かれている内容は記紀」(kiki)と呼ばれる「日本書紀」「古事記」が日本の福音書として当然ながらあります。その上で、日本のピラミッドやUFOにまつわる「竹内文書」が記紀の次にあります。また、令和の年号の起源になった「万葉集」。それから、1万年以上前からあったとされている「ホツマツタエ」「カタカムナ文献」も天御祖神(amenomi-oyagami)を通して語られております。

これについては今の理解では難しい内容であると思うので、時を待ったら投稿することにしましょう。

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20/04/14